今日からぼくは

一歩ずつ一歩ずつ

発達障害かも

発達障害という言葉をよく耳にするようになった

 

ADHDとかASDとか

人格障害も含めるとなかなか種類がたくさんある

 

ぼくも以前に発達障害なのではないかと疑ったことがあった

当てはまることが多かったし

人よりできないと感じることが多かったからだ

今となっては違うだろうと思うようになった

 

ぼくの場合は発達障害を言い訳にただ逃げたいだけだったんだと思う

自分の能力不足を全て何かのせいにしたかった

現実を受け止めたくなくて手取り早い発達障害のせいにしようとした

のだと思う

 

実際に発達障害で苦しんでいる人たちには大変失礼なことをしていると思い反省している

でもそのくらい悩んだし、苦しかった

医者にもいった

「あなたの職業ではそういう人たくさんいます」

で終わってしまった

どうやら研究者はこういう人が多いらしい

変わり者が多いと言われるのも仕方ないのかもしれない

 

人と関わる機会が少なく、個人プレーで済んでしまうことの多い研究職は

こうした特性による問題が顕在化しにくいのかもしれない

まあでも一度気になるとなかなかに辛いものがある

 

ふと考えた

発達障害を隠蓑にしようとしているのはぼくだけなのだろうか

YouTubeなんかでも発達障害の方の生きづらさを発信する内容やHSPなんていう言葉もよく聞く

本当に辛くて同じつらさを共感したり、同じように苦しんでいる人を励ましたいという思いがあると思うのでその活動自体は素晴らしいと思う

 

一方で少し過剰な気もしている

全てを発達障害のせいにしようとしているような意図も感じられてならない

発達障害という言葉も誤解を生みやすいが、本来は自分の特性や性質を受け入れて

その上で前に進んでいくためきっかけであって欲しい

 

なのに発達障害と診断された悲劇への共感を訴えるような発信も少なからずあるように思える

さらにはある種の特殊能力のようにそれを語るものも少なくない

ADHDの〇〇な特性とASDの〜〜な特性を併せ持っているから云々・・・」

などである

 

本当に苦しんでいる人のためを思うなら寄り添う発信や前に進めるように背中を押すような発信を心がけるのが真の優しさなのかなとも思った

 

実際に言い訳に使おうとしたぼくが言うのもなんだが、SNSの影響力が強まるこの世の中では意外に深刻化するのではないかと危惧している

特に落ち込んだ時や疑いを持つと、その考えに固執したりしがちなので気をつけないとといつも思う

 

同じような悩みや疑いを持った人も少なくないだろう

ぼくと同じような悩みや言い訳を考えた人もゼロではないと思う

 

ぼくは言おうか悩んだけど正直に告白することにしました

これを秘密にしておくのも後ろめたかったから

この記事で少しでも同じように苦しんでいる人の背中を押すことができたら

ぼくの告白は役に立ったのかなと思う

 

明日も頑張ろう

一歩ずつ一歩ずつ