今日からぼくは

一歩ずつ一歩ずつ

嬉しかったこと

今日は急な無力感と絶望感に襲われた

どうしようもなく無気力になったので暗いことを書くよりは少し明るいことを考えたい

 

ぼくが今までに”嬉しい”と感じたことを書いていくことにする

良かった思い出より後悔や絶望の方がよく覚えているので

嬉しいと感じたことを思い出すのは時間がかかる

とりあえず3つに絞って書くことにする

 

・塾講師

ぼくは大学生の時、塾講師のアルバイトをしていた時期があった

継続していたわけではなく友人の紹介で短期間だけ勤めていた

そこは数学の個人塾で条件もなかなかに良かった

ぼくは初めての塾講師だったので少し緊張していた

 

初めて担当したのは中学生3年生の女の子とその弟の中学1年生だった

あまり勉強が得意ではないらしく、授業中に手が止まったり集中力が切れてしまうような感じだった

いつも送り迎えにはお母さんが付き添ってきていて挨拶してくれた

 

そこの塾は基本的に映像授業で、小テストや質問に答えるのがぼくの役割だった

それがなんとなく面白くなかったのでぼくは勝手に授業を始めた

映像授業はプロの講師が教えるのでぼくなんかよりはるかに上手だしカリスマ性がある

でもそれだけでは伝わらない本当の学問の魅力のようなものをわかって欲しかった

ただ問題を解くだけが勉強じゃないと伝えたかった

だから教科書には書いていない考え方(気持ち)のようなところを伝えるようにしていた

なんでこんなことを考えるのか、何に役に立つのか等ぼくが持てる知識は全て詰め込無勢いで準備した

 

計算練習なども丁寧に指導した

自分が間違えたところに何で間違えたかメモすることを徹底した

 

最初は戸惑っていたけれど、だんだん慣れてくれたのか習慣になっていった

ぼくの授業も面白がって聞いてくれたのを覚えている

 

ただ、塾の場所が遠かったこともありまとまって授業のコマを確保することができなかったので、塾講師を辞めることにした

 

最終勤務の日に迎えのお母さんから、「先生の授業が面白いって言ってる 残念です」と言われたのが嬉しくも申し訳ない気持ちになった

今思うと続けていれば良かったとも思う

 

・コーチ

これも大学生の時、ぼくは部活動のコーチをしていた

コーチと言っても母校の部活に教えにいくだけだ

たかがコーチと思うかもしれないがぼくはこれにのめり込んだ

 

ぼくの出身校はお世辞にも強豪とは言えない弱小チームだった

卒業生がコーチとしてきてくれることが伝統のようになっていた

ぼくが卒業の年、チームを強くするために卒業生の中でプロのコーチをしている人が呼ばれて特別に指導してくれた

この人を師匠と呼ぶ 考えられないほど厳しい人だったという記憶はある

ただ、それは自分が今まで努力をしてこなかった現実を突きつけられた瞬間でもあった

なんだかんだその人に教わり自己ベストを更新して引退することができた

 

でももっと早く襲われていればという後悔が残った

次の世代の選手に伝えたいと思いぼくもコーチを始めた

 

ぼくがコーチを始めた時、師匠がコーチングについて1から教えてくれた

最初は自分の思い込みや固定観念に縛られていたが

それを根本から壊してくれたのが師匠だった

 

師匠はとても厳しかったが自分にはもっと厳しい人だった

ぼくが考えたトレーニングメニューなど何度ボツにされたかわからないが

ボツにならないメニューの組み立て方もわかるようになってきた

 

ストレス耐性の低いぼくは何度か反発したりしたこともあった

今思うと自分が幼いだけだし、悪いのは自分だと思う

でも師匠はぼくを見捨てなかった

 

いつも変わらぬ態度で教えてくれたし、ぼくもたくさん学ばせてもらった

師匠が厳しい人だったからなのか、師匠のところに勉強に行く人はいなかった

自分から飛び込んでい人などぼくくらいのものだった

だから可愛がってもらえたのかもしれない

 

師匠のところで学んだ技術を自分の中に落とし込んで選手に伝える

これがいつの間にか病みつきになっていた

自分が思った通りに選手のパフォーマンスを伸ばしてあげられる時などは天狗になった

何より成長していく選手の嬉しそうな顔を見るのがとても嬉しかった

 

自分だけこんなに学ばせてもらって、選手の成長も見れるのはとても幸せだった

 

・後輩からの言葉

大学院の時の後輩の言葉が忘れられない

ぼくは無能だったが、わからないことはわかるまで時間をかけて取り組むような性格だった

自分ではとても効率が悪くていつも人より損をしていると思っている

 

はっきり言って才能はないし、効率も悪い役に立たない学生だったが、偉そうに後輩指導は熱心に行っていた

後輩がつまづきそうなポイントや理解に苦しむポイントなどは自分が経験しているのでなんとなくわかっていた

後輩に教えると自分の勉強にもなって楽しかった

後輩もぼくには聞きやすかったのか、なんでも質問してくれた

ぼくもそれに応えられるように一生懸命勉強した

 

そんな姿を見ていたのか先生もぼくに対しては優しかった(というか甘かった)

研究能力の低い学生でもちゃんと卒業させてくれた

 

研究室での学びは本当に楽しかったと思っている

だからなのか就職活動では研究職を選んだ(選んでしまった)

今思うと安直な考えだったと思う

 

自分でも研究には向いていないと思いながら、なんとなく諦め切れない自分がいた

ダメもとで面接に臨んだことを覚えている

ここが受からなければ研究職は諦める

そう思って受けた会社が今の会社だ

 

正直内定を貰えるなど微塵も思っていなかった

内定を貰えた時は嬉しかったが、同時に不安だった

自分に向いていない職業でやっていけるのだろうかと

 

この不安が払拭できず先生や同期に相談していた

そんな時に後輩がぼくに言ってくれた言葉がある

 

「先輩は行くべくして受かったと思います」

 

とても嬉しかった

同時に自分のやってきたことが報われた気がした

今でもこの言葉は心の支えの1つだ

 

 

こんな感じでぼくが嬉しいと感じたことを書き連ねてみた

こう見ると何もしてこなかったわけではないのかなとも思う

それなりに自分で行動していたこともあるじゃないか

 

今はより高い壁にぶち当たっているだけなのかもしれない

果たして乗り越えられるか不安だが諦めずに頑張ろう

一歩ずつ一歩ずつ