今日からぼくは

一歩ずつ一歩ずつ

就活のトラウマ

自分は社会に必要とされていない
何も適している仕事がない

ぼくは就活の時にこれを痛烈に感じた
本当に焦ったし自分の生き方と性格を呪った

あの頃のぼくは本当に腐っていた
全てに無気力だったし将来に希望など抱いていなかった
卒業したら死のうとすら思っていた
当然働きたいなど微塵も思っていなかった

将来に希望を抱いて笑顔でいる友達や周りの人が羨ましかったし憎かった
もうどうにでもなれとやけくそになっていた

今は少しだけ冷静になれたのであの頃を振り返ってみようと思う
ぼくが就活がトラウマになったのには2つ原因がある

1つは友達と他個分析をしたことだ
他個分析は他者から見た自分を認識するために重要な作業だ
ただ改めて人から自分がどう見られているのかを知ることになるため意外と辛いものがある
普通は一長一短で長所と短所がバランスよく出てきて自分を振り返る

ぼくの場合は違った
長所1に対して短所が10くらい出てきた
今でも思い出すだけで辛い
長所を考える時はみんな考え込んでやっと絞り出したような感じだった
なのに短所を上げる時になると泉のように湧いて出てくる

ぼくの自尊心は砕け散った
周囲の人にはそんな風に写っていたのかと

自分の長所などたかが知れていて何にも強みのない人間なのではないか
元々得意ではないのに周りの人と接するのが余計に怖くなった

これに拍車をかけた決定打が2つ目の理由だ
それは適職診断である

最近では適職診断のツールが充実している
アンケートや質問に答えるとその人の考えの特性を考慮してどんな仕事に適性がありそうかを出力してくれる
もちろん必ずしも当てはまるわけではないし、あくまで統計的な指標に基づいているだけなので万人に当てはまるわけではない
ただ当時のぼくは適職がないと終わりだと思っていた

ぼくの適職の結果だが散々なものだった
ほとんどの職種に適していないという結果だった
5段階評価で良くて3でほとんどは2か1だった

根本の性格から働くことに向いていないのだと悟った
しかも自分が受けようとしていた業界は全て適職ではないと判定されたところだった
もし仮に内定をもらえたとしてもその先やっていけるのだろうか
この不安が頭から離れなくなった

自分に向いているのはただ指示されたことだけをやり続けるような頭を使わない仕事だけだった
もちろん給料も高くない仕事だ
そんなことはぼくの小さなプライドが許さなかった
自分はそんなことはないと見栄を張らずにいられなかった

こんな性根腐ったぼくが苦し紛れにとった行動は”自分を偽る”ということだった
企業が欲しそうな人物像に自分を重ねる
何もない自分の外側にメッキを塗りたくった
自分を騙すことは得意なのでボロが出ないように完璧に演じきった

面接ではそれなりにうまくいった
面接で褒められることが快感になり自分にどんどんメッキを塗り重ねた

結果就活はうまくいき希望していた企業から内定をもらうことができた
内定をもらえた時は嬉しかったが、心のどこかにポッカリと穴があいたような気がした
入社してから自分が活躍できる未来など全く見えなかった
でも現実は見ず、周りからの称賛や自分のプライドを守れたことで悦に浸った

入社してからは絶望だった
メッキは一瞬ではがれすぐにボロが出た
向いていないことはわかっていたのにそれを認めたくない自分がいた
結局小さなプライドにすがっている成長していない自分がいる

業務のプレッシャー
社会人という責任
自分を偽り続けてきた反動の虚無と絶望

ぼくは全く動けなくなってしまった
最近になってようやく動けるようになってきた
職場の人には本当に迷惑をかけたと思う

それでもぼくがこの仕事に向いていないことは明らかだ
でも離れたくない

大企業というブランド
せっかく入れたのにもったいないという気持ち
周囲からの目
職場の人への申し訳なさ

そんなこんなでまだしがみついている
でも区切りをつけようと思う
このままがぼくがこの会社に居続けることは会社にとってもぼくにとっても損失だ

だから辞めることを決意した
辞めると言っても辞める覚悟で働くということだ
辞める前に自分の頭で考え行動し会社に対して成果を残してから辞める
それがぼくにできるけじめで償いだと思った
そしてぼくが自信を持って前に進ために必要な決断だと思う

おそらく周りには馬鹿にされるだろう
その程度の人だったと笑われるだろう
でもいい
ぼくが決めたことだ
自分の言ったことには責任は持ちたいし
やり遂げたと言える経験が1つは欲しい
それで十分だ

辞めた後のことは考えていない
燃え尽きて廃人になるかも知れないし
また腐っているかも知れない
何もせず引きこもっているかも知れない

それでもぼくはこれからの1年に命をかける
自暴自棄ではなく本気になるために

だから今日も働く
一歩ずつ一歩ずつ

空気みたい

ぼくは大勢で集まることが得意ではない

みんなの話についていけないのだ
話題がどんどん変わってしまうのでとても困惑する

そして急に話題を振られることに慣れてない
会話のテンポについていけないというか
会話の流れについて行こうとしても気になる話題や理解が追いつかないところで考えこんでしまう
やっと追いついたと思った時には次の話題が始まっている

こんなことがよくある
周りの人からまだその話題?と言われてしまう
本当に辛い

あとは面白いことや気の利いたことが言えない
自分の発言1つで場が白けてしまうとどうしようもない罪悪感が湧いてくる

だからいつも基本的に聞くに徹している
自分に話を振られることを怖がっているので空気みたいになってしまう

もっと色んな人と話しておけばよかった
色んな経験をして話せるレパートリーを増やしておけばよかった
後悔は尽きない

でも最近考えが変わってきた
自分の経験でも話せることはあるのではないかと
たしかに他の人に比べるとエピソードとしては薄いかも知れない
でもこのエピソードを膨らませて面白くできたらとても価値のある話術になる
だから僕は話し方を学ぼうと思った

これから色んな話し方を学んでぼくだけのトークを手に入れる
長い時間がかかってもいい
ぼくがぼくを表現するためだから
ぼくという人間をしってもらうことだから

一歩ずつ一歩ずつ

日曜日の憂鬱

ぼくは日曜日が嫌いだ

 

日曜日が嫌いな人は多いだろう

ただぼくの場合は社会人になる前から日曜日が嫌いだった

 

翌日仕事があるからではない

もちろん今はそれもあるが

どちらかというと日曜日に決まって家族の喧嘩が起こるからだ

 

ぼくは核家族ではない

2世帯という形で育った

祖母の実家を自分の実家として住まわせてもらっていた

 

そういう意味では持ち家ではない

これが原因でよく喧嘩が起こった

つまり居候を理由にいびられることが多かった

 

普段はなんともない仲良く暮らしている

ちょっとしたことで喧嘩が起こると引き合いに出されるのは

この居候という言葉だった

居候だから文句を言うな

 

これを言われると反撃のしようがない

親も逆上するしかなく喧嘩になった

 

これが日曜日になると必ずと言っていいほど起こった

家にいるとこの口喧嘩を聞かなければならない

だからぼくは研究室に逃げた

家に居場所がないように感じていた

 

だから今まで日曜日を楽しいとか待ち遠しいと思ったことは少ない

社会人になった今でもこの感情は根深い

週末は全くと言っていいほど楽しみではない

心が休まる瞬間がない

 

日曜になると途端に憂鬱が襲ってくる

それを忘れたくて外に行ったり勉強したりするけど身に入らない

とても苦しい

 

だから個人的には他の曜日に休みたい思っている

自分の休みを自分で決めるフリーランスという働き方に憧れている

自分の嫌いな日曜日を出勤日にすることができるからだ

 

今はこれを目標にして頑張ることにした

とはいってもスキルと呼べるものは何もないのでこれから身につけていかなければならない

何を武器にするか全く決まっていないが、気になったことをやってみることにした

考えてもわからないからやる やってみてから考える

 

理想に近づくために明日からも頑張る

一歩ずつ一歩ずつ

 

趣味が怖い

ぼくは趣味がない

趣味と呼ぶほどに好きになったり熱中できるものがないのだ
好きになってもすぐに飽きたりして人に話せるほどのことは何もない

いつもこれに悩まされてきた
自己紹介するときも苦し紛れの趣味しか語れない
そのあと深堀されるとボロが出て会話が続かなくなる

これが怖かった
自分は趣味を語ってはいけないのではないかといつも思っていた
何か新しいことを始めるとき
続かなかったらどうしようか
趣味にならなかったらどうしようかと不安になった

自分よりそれを好きだったり詳しい人を見ると
自分はそれを趣味と言ってはいけないのではないかと思っていた

自分がそれを好きになれる自信がなくて
それならやらない方がいいと思った
そうして自分の殻に閉じこもってきた

こんな感じで自分の好きなことや趣味にも恐怖心を抱くことがよくあった

だから好きなことに没頭したり
趣味に打ち込める人が羨ましいと同時に妬ましかった
そういう人に出会う度に自分の惨めさが露呈している気がして自分から付き合いを避けていた

今でもその癖は治ってない
好きなことを堂々と好きと言えることはすごいことだと思うし
そう宣言して打ち込む人を見ると辛くなる

この辛い感情を言語化すると様々な言葉がでてくる
羨ましさ 嫉妬 惨めさ
憧れ 諦め
罪悪感
恐怖感
虚無感
苛立ち

そうなりたいと思いつつ
そうなれない自分に苛立ち絶望し恐怖し
諦めている 燻っている

けっこう複雑だ

ただ1つ結論が出た
こう思うことは決して悪いことでは無いのでは無いか
褒められたことではないかもしれないが悪くは無い
こんな惨めな一面も含めてぼくの一部だ

打ち込めるものがないのは出会ってないだけ
あるいは向き合ってないだけなのかもしれない
これからは少しでも興味のあること
面白いと感じた感情を大切にする

今までずっと殺してきた感情ゆえ
リハビリには時間がかかるが必ず取り戻す


一歩ずつ一歩ずつ

過小評価?過大評価?

ぼくは自分の評価がとても苦手だ

 

自分のした仕事にどのくらいの価値があるのか自分で見積もることができない

かと言って誰かに評価されるのも怖い

 

ぼくは他の人より劣っていると考えている

ぼくができることなんてほとんどの人は当たり前にできるし

ぼくがいなくてもぼく以外の人なら倍速以上でこなせると思う

 

毎年2回ある業績評価の時期が非常に苦しい

自分の業績を人に対してアピールすることが怖いのだ

この程度の働きで給料をもらっていることを罵られるのではないかといつも怯えている

 

やったことや工夫したことはきちんとアピールするようにと言われる

でも自分がしたことなど業績のうちに入らないし

自分の工夫など工夫と呼べるに値しないと思って書けないことがよくあった

 

上司はそんなに自分の取り組みを卑下しなくていいと言ってくれた

とても嬉しかったが素直に喜べない自分がいることが後ろめたい

 

ボーナスをもらうのも怖い

自分がこんな金額をもらっていいのだろうかといつも思う

ボーナスや給料が入って心が踊ったことは初任給と初回のボーナスくらいだ

それ以降は給料日のたびに罪悪感がある

 

ふと思った

ぼくは自分を過小評価しているのだろうか

もしそうだとしても腑に落ちない心がある

 

もしかすると過大評価しているのではないか

そう考えるようになった

自分はこんなもんじゃないという思いと実際の現実のギャップに耐えられず

自分の少しでも大きく見せるため過度に自分を過小評価しているのではないか

こう考えると辻褄があってしまった

つまらない自分のプライドを守るために過小評価を繰り返し

そんなことないよ 十分すごいよ と言ってもらうのを待っている

 

こんな卑怯で臆病な自分がいたことは正直認めたくなかった

でもそういう深層心理があると認めると全ての行動の辻褄があってしまった

 

こんなしょうもないプライドを守るためにぼくはこの20数年を棒に降ってしまったのか

そう思うと絶望と空虚感に苛まれる

 

そりゃ人も離れるし

信頼もなくなる

成果も出せるわけない 謙虚じゃないし 学ぶ姿勢が腐っているから

 

この腐った心とぼく自身を変えないといけない

そのためにブログに綴る

恥ずかしくても言葉にする

 

今日も褒められたような取り組みはできていないけど

明日に向けて反省して前に進む

理想の自分に少しでも近づくために

周りの人に行動で恩返しできるように

失った信頼を少しでも取り戻せるように

 

一歩ずつ一歩ずつ

居場所がない

ぼくには居場所がない

こんな感情をずっと抱えてきた

 

気の許せる友達がいない

本音を打ち明けられる人がいない

悩みを相談できる友達がいない

 

ある程度仲良くできる人はいる

ただ心のどこかで壁を作ってしまう

そんな関係しか作れなかった

 

一度親に相談したことがある

すると親もそんな友人はいないから大丈夫と流されてしまった

 

確かにぼくの両親も人付き合いが上手ではないと思う

子どものぼくから見てもなんとなくそんな感じはしていた

知り合いは少ないし、休日も一緒に過ごす友人も少ない

保護者会やPTAなどの親同士の付き合いを見ていると

子どもでもその優位関係は察することはできた

圧倒的にぼくの両親は疎外感があった

 

そんなことを感じ取ると学校での友達関係もうまく作れなかった

親の力が大きかったり、親同士が仲の良い人たちはすごく親しげにしていた

それが羨ましかった

その輪の中に入れない自分がいた

なぜだか自分は入ってはいけないのではないかと思っていた

 

「隠キャ」という言葉で片付けてしまえばそれまでだが

ぼくの中学、高校生活はこんな感じで幕を閉じた

正直不完全燃焼感は拭えなかった

 

大学では心機一転頑張ろうと思ったが結果は変わらなかった

友人のノリや距離感についていけず大学デビューも見事に失敗した

新入生歓迎会などのイベントには気後れし、どこにも参加できなかった

もちろん友達もほとんどできなかった

 

大学でも友達との距離感はわからなかった

みんなのノリについていけなかったり、バカになりきれずに場を白けさせてしまうことがあった

トークも面白くないらしく、ぼくに話を振ってくれる人やぼくの話を聞きたいと言われることはなくなった

挙げ句の果てには「つまらない」というレッテルすら貼られていたようで

よく馬鹿にされていた(のだと思う)

馬鹿にされているかどうかすらわからないくらい空気が読めなかった

ぼくの話で笑ってくれる人は誰もいなかった

 

人と話すことがとても怖くなったのもこの頃だった

何を言っても否定されるし、笑ってもらえない

でもその原因はぼくにあるのだから仕方ない

一生こんな状態が続くと思った

もう人生終了だと思っていた

 

そこからは無気力で大学に行き続けた

就職活動もテキトーにした

親が大企業指向が強かったこともあり大企業を受けた

それなりな企業からは内定がもらえて入社することになった

 

社会人こそはと意気込んでいたが結果は変わらなかった

やはり人との付き合い方がわからない距離感がわからない

社会人ともなると本音と建前を使い分けられる人が多いらしく

人間関係というものが余計にわからなくなった

 

中学高校から社会人になった今でも同じ失敗を繰り返してしまった

かれこれ10年以上ぼくには「居場所がない」

何がいけないのか自分でもわからない

というより自分だからわからないのかもしれない

 

素直とか真面目とか長所はあるよとか言ってもらえるけど

どれも素直に喜べない 懐疑的になってしまう

こんな自分に長所などあるわけがないと思っている

 

そんな悩みを抱いても相談できる人もいなく一人で抱え込んでパンクした

人間不信というより自分不信になった

自分の考え、感情、行動が全て信じられなかった

当然仕事に責任を持つことなどできなかった

暗黒期だったと思う

 

今は少し回復してきた

でもネガティブで人付き合いの苦手なぼくが治ったわけじゃない

この生きづらさを誰かのせいにしたい

そうすれば楽になると思った

 

親にぶつけてみた

正直八つ当たりだったかもしれない

今まで嫌だったこと それを言えなかったこと

申し訳ない気持ちや恥ずかしい気持ちはある

いい歳した大人がすべき行動でないことも理解している

でもそうしないと壊れてしまいそうなぼくがいた

 

親はただ聞いてくれた

一言「ごめん」と言ってくれた

そして親の話もしてくれた

なんでそういう振る舞いをしてしまったのか

理由にはなっていなかったが親なりの苦労を話してくれた

 

初めて人と話した気がした

ぼくは今まで自分を守るために見てくれのいい自分を作っていた

考えや思いも言わないことが多かった

自分の気持ちを人に伝えていなかったことに気づいた

 

だから周りの人も気持ちを教えてくれなかったのではないか

そう考えることにした

ぼくが歩み寄ろうとしていなかったから、周りの人も心を開いてくれなかったのだ

 

これからはもう少し自分を表現する努力をする

恥ずかしいことも少しづつ開示してぼくという人間を知ってもらえるように頑張る

 

正直かなり遅れたスタートだ

多くの人が高校生で経験するようなことを10年以上遅れて取り組み始める

でもやるしかない

 

一歩ずつ一歩ずつ

不安とイライラ

不安とイライラは紙一重だと思う

以前医師にもそう言われた

 

ぼくはあまり他人に対してイライラしない

というよりあまり興味がないのかも知れない

よく仕事の愚痴を言ったり他人に対してイライラしてる人を見ると不思議だなとと思う

何でこの人はこんなにイライラしてるのかと考えてしまう

 

ただイライラしない代わりに不安になる

ありとあらゆることが不安で仕方がない

自分の言動や将来のこと全てが不安で仕方がない

 

医師曰く不安もイライラも同じだそうだ

イライラする気持ちが自分に対して向くと不安になるそうだ

なんとなく腑に落ちた

 

ぼくもちゃんとイライラしていた

他の人と同じように喜怒哀楽の感情があるんだと思った

ただその矛先が自分に向くから不安になってたのだ

そう考えるようにした

 

そう捉えるようになって不安やイライラの対処の仕方が少しわかったような気がした

自分が不安になったりなるときはストレスが溜まっている証拠だと考えた

いつもよりゆっくり過ごしたり休みを入れることで以前のような感情の起伏は少し収まった

 

僕にとっては大きな進歩だと思う

意外にこの感情の捉え方に気づいてない人は多いのかもしれない

友達に言ってもきっとバカにされてしまうので

このブログにこっそり書いておくことにする

 

少しずつ自分をコントロールしていければいいと思う

 

一歩ずつ一歩ずつ